中国科学院の学部は、中国の科学技術の発展を目指した活動を行ってきた。

自然科学用語の統一

 日中戦争前の比較的落ち着いた時代には中国においても科学技術の進展が見られたが、日中戦争やその後の国共内戦などにより、研究ポテンシャルは破壊され研究者も散逸していた。

 1949年の中国科学院の発足時に、顧問となった専門委員が手をつけた最初の仕事は自然科学用語の統一であった。混乱した中国社会からの脱却を目指し、中国全土における学術用語を統一することは、科学研究、学術交流、高等教育、科学啓発活動などを進める上で極めて重要であると考えられた。

 中国科学院は関連機関と合同で専門委員会を立ち上げ、専門委員として招請した科学者に、自然科学用語の審査決定作業を依頼した。1951年初頭までに、「動植物命名原則(試行)」、「化学物質命名原則」、「天文学用語」の3つを決定した。

中国科学院科学基金の設置

 1981年の第4回学部委員大会の期間中に、89名の学部委員が連名で中央政府に書簡を出し、国の予算により科学基金を設立して基礎研究を資金援助するよう提案した。科学研究の権威のある有識者が、一丸となって中国全般の科学技術動向に対して意見を述べたという意味で、画期的なことであった。

 この提案を受け、1982年3月に中国科学院は基金制度を創設した。この中国科学院科学基金は、米国科学財団(NSF)を範とするもので、研究者の自由な発想に基づく科学研究のアイディアを公募し、それを科学的な価値の観点から審査を行って、優秀なアイディアに資金援助するものである。1982年からプロジェクト申請の受理を始め、1986年には計4,424の課題に資金援助し、支援総額は1億7,200万元に達した。資金援助を受けた研究者の所属機関は、大学を含めた高等教育機関が74.8%を占め、中国科学院が14.6%で残りは企業などであった。

 中国科学院科学基金の成果を受けて、政府は資金援助を中心とした組織を中国科学院と独立して設置することを決定し、1986年2月に国家自然科学基金委員会(NSFC)が発足した。これに対応するものとして日本の科学研究費補助金がある。

863計画

 1983年に米国レーガン大統領は、ソ連の軍事的脅威に対応し21世紀のハイテク技術分野におけるトップの地位を確立するため、「スターウォーズ」計画を提案した。これに追随して、日本、西欧、ソ連等も相次いで21世紀のハイテク技術分野の開発計画を提起した。

 中国においても、同年3月、王大珩ら中国科学院学部委員4名が、「海外のハイテク技術競争の波は無視することができず、中国も国情に合わせて適切な目標を選び、積極的にキャッチアップ研究を行い、できる限り何らかの面で他をリードする成果を出さなくてはならない。これを実現するため、ハイテク人材を大切にすべきである」旨の意見書を、時の指導者であった鄧小平に提出した。

 この提言を受けた鄧小平は、「この件は速やかに決断すべきで、放置してはならない」との指示を出し、国務院の担当者に早急に対応するよう命じた。国務院の関連部門は、多くの専門家集めて検討を進め、プロジェクトにトップダウン的に資金を提供する制度である「ハイテク技術研究発展計画」を制定し、国家科学技術委員会(現在の国務院の科学技術部)が1987年2月から実施に移した。学部委員4名の提案と鄧小平の指示が1986年3月に行われたため、このプロジェクト資金は後に「863計画」と呼ばれた。

 中国には、朱鎔基総理のイニシアティブで1997年3月に開始された基礎研究の強化を目的とした「973計画」と呼ばれるプロジェクト資金があり、863計画と973計画はトップダウンの資金として重要であった。しかし、近年の政府のファンディング機能の改革の一環で、この二つの計画は無くなっている。